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2004年11月05日

2004年11月05日

理科数学教育の危機と再生

英語2の題材で理科教育の文章かこうとおもってかりてきた。

一人数ページずつ新教育過程の自分の専門分野内容の大削減に思い思いの文句をぶつける文章が200ページまとまっている。中でも毛利衛と慶応教授の激しい議論のすれ違いは必見。 毛利衛とか言ってることがすばらしすぎる。以下引用

毛利(M): では戸瀬さん、小学校、中学の算数、数学の目的とは何でしょうか。
戸瀬(T): 小学校の算数の目的は、一生社会生活に困らないような数理能力を身につけることと、中学の理科、
         社会などの諸科学に必要なものを身につける。
M: 私のような素人の耳で聞くと、いまの"一生社会生活に困らないような数理能力を身につける"という言葉が
   理解できないんです。それをわかる言葉でみんなに知らせてあげないことには。そもそもの算数の目的とい
   うのはわからないんじゃないでしょうか?
T: そうですね、それは非常にむずかしい。その問題をすべての科目に対してやり出したら...
M: いいえ。それがないとスタートしないんです。
   じゃ、かわりに私の考え方をいいます。算数の目的は何かというと、物事を論理的に、つまり1+1は2だよ、
   1+2は3だよ、2+2は4だよというつながりを理解できる能力なんです。私たちが日常生活や行動をするために
   、整合性のある規則があります。つまり、これがあったらつぎにこれが、そのつぎにはこれがある、という
   ことです。それに基づいてつぎからつぎへと複雑な現象を理解できます。その能力を小学校のレベルで、社
   会に出てから困らないようにするために練習しているんですというのが私の"数学"の定義なんです。

今どきの大学生はこれもしらんあれもしらん、というのも確かに問題かもしれないが、本当に問題なのは科学を学習することの意味や、科学自体の意味を見いだせない人を量産する理科教育のありかたであると。理科の教科書なんて、"たのしい"必要はない。神秘的であるほうが理にかなっている。

計算論(計算可能性とラムダ計算)

この前からH氏周辺主催の計算論のゼミに途中参加した。

計算論の本の1章がおわり、これからラムダ計算に。 いままでのところ、再帰関数だけでかけるプログラムと普通のいわゆるプログラム(whileプログラム)とチューリングマシンあたりが同等だといって、計算不可能な関数の存在をいった。

月2の記号論理学2は今不動点定理やって、今後再帰関数の話をしてゲーデルの不完全性定理がどうとか、といっていたから、たしかにかぶる。

ふとおもいたって、Haskellの再帰的な型定義ってすごいな、とおもったが

data Variable = Var Char deriving(Eq)
data LambdaTerm = VT Variable
		| FuncAbs Variable LambdaTerm
		| FuncApp LambdaTerm LambdaTerm
		  deriving(Eq)

でもこの先いろいろ書いてみたがきれいじゃない。計算についての考察が計算機を使ってできるわけもなく。

いろいろ

バイトの内容はおもしろいし、待遇もいいわけで少しは当惑もするわけだが、やねうらおのページから都合のいいところだけ引用。

第A9回 論理演算必勝テクニック(誰かXORを教えて!:p) 00/03/14

こういうとき、お金に見合うだけの価値なんてどこにも無いんだと思います。私の場合、学生時代のバイト
は法外の安さで働いていたことがあります。法外の高さだったこともありますが(笑) 仕事内容に見合う
金額ではなく、そのときの市場性、たとえば自分がかかわったソフトがいくら売れたかなどによって左右さ
れます。しかし、いくら売れるかどうかってのは、ソフト内容以外にも、マーケットの規模、流通能力、営
業戦略等々がからんでくるので、自分のプログラミング能力および、技術レベルの高低はほとんど反映され
ないような気がします。その結果、ALLアセンブラで1ヶ月ぐらいかけて作った3Dのゲーム(名前は秘密:p)
より、その場凌ぎで、1週間ほどで作った盗撮マニアのほうが何倍もロイヤリティが高かったりします。
.
そういうのを目の当たりにするとき、労働に見合う金額なんてどこにも無い(存在しない)んではないかと
思います。たくさんお金が欲しいというのではないのです。自分の仕事に見合う金額はいつも貰えないし、
そもそも自分の仕事に見合う金額とは何なのでしょうか?あるいは、そんなものは、最初っから存在しなか
ったのかも知れません。あのマクドナルドのおばさんも、平日の2倍の値段のハンバーガーを5つもやねう
らおに売ったとき、どんな思いだったのでしょうか。やねうらおは、分不相応の報酬(多いにせよ、少ない
にせよ)をもらうとき、あのおばさんのことを思い出さずにはいられません。

人は社会の歯車ではナイ!

まず、会社に通える場所に住んでいて、定時に会社に出てきてくれて、こちらが出した作業をそつなくこな
せて、それで一定の金額(まだ若いからそんなに高くはないだろう)で働いてくれる人というのは、そうそ
う居ない。そういう人を探すために会社はリクルーティングにどれだけの金を使っているのか、人事にどれ
だけの労力を払っているのか、いまの若い人たちは気づいていない。
.
だから、「こんな、誰でも出来るようなつまんない仕事したくないなぁ」だとか「技術的に、もっと面白い
ことがしたいなぁ」だとか言って会社をやめていく。じゃあ、「あなたと同じ給料かそれ以下で働いてくれ
る、あなたと同じかそれ以上の技術力を持った人を連れてきてください」と言いたくなる。たいてい、それ
は簡単なことではないのだから。